わたしたちが毎日食べている白米。白米だけの白ご飯は格別に美味しいですよね。
白米の歴史をさかのぼりましょう。昔から食べられているかと思いきや、意外と日本人が白米を常用したのは明治時代以降でした。江戸時代は米の大半が年貢として取られてしまうため、庶民は白米を食べることは少なかったようです。
奈良時代から日本人は、白米のかわりに玄米を軽く精米して蒸して食べる「強飯」を常用しており、白米は階級の高い人しか食べられないものでした。
室町時代になると農作物の生産技術が向上しますが、それでも一部の人しか白米を食べる習慣はありません。
江戸時代も都市部しか食べる習慣がなく、田舎などは玄米しか食べることはありませんでした。
そんな中、都市部を中心に大きな病が問題になります。
「脚気」という病気です。
都市部では白米が好まれ、毎日食べる習慣が定着します。しかし白米は値段が高いので副食物(おかず)が買えず、白米だけを食べることが多くなります。その影響でビタミン不足になり、中枢神経が侵される病気が流行します。それがのちに日本の国民病といわれた「脚気」です。
脚気は中枢神経が侵され死に至る病気です。病気の進行が早い人は3日で命を落とすことも。
大正時代は年間3万人もの人が脚気で命を落としています。その大きな原因には戦争の影響もあったようです。
明治時代、政府は「徴兵令」を公布し全国から若者を集め、軍隊に入れば1日6合の白米を提供することを約束しました。この条件は、ほとんど白米を食べられない若者にはかなり魅力的だったようで、多くの若者が入隊したようです。これが脚気が多くなった原因だといわれています。
日清戦争では20万人の兵士を動員しましたが、その20%が脚気になりました。その10年後の日露戦争では、戦病死者37,000人のうち75%は脚気でした。脚気は数日で亡くなることもあり、怖い病気として恐れられました。
当時、脚気は伝染病ではないかと疑われており、ビタミン不足だとは考えられていないようでした。白米から玄米に変えると体調が良くなることで、「贅沢病」という人々もいました。
ぬか漬けを食べる習慣がある家庭は「脚気」になりにくい、といわれていました。ぬかは精米時に玄米から取り除いたものでビタミンが豊富です。知らないうちにビタミンを補っていたようですね。
明治43年に農芸化学者の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功しましたが、医学者ではなかったため医学界からは注目されず脚気患者は減ることはありませんでした。
脚気に終止符がうたれたのは大正の末期になってからです。
今や「脚気」も忘れられた病気ですが、改めて食生活の大事さを感じます。